ちいさな、世界

私の頭の中の宇宙

今日は頑張ったということ

週末に家族旅行の予定が入っているのだが私はなんの準備もしていなかった。本当に全く出来ていなかった。

なぜなら部屋の中に物があまりにも多すぎるからだ。物の山から旅行かばんを掘り起こさなければならないし、足の踏み場はあっても床にもっとスペースを作らなければ荷造りができないような状態だった。

日にちが迫ってきて、さすがにそろそろまずいなと、とにかく出しっ放しの物をあるべきところへ少しでもしまおうと決心して、今日は3〜4時間ほど頑張った。結果として、かばんも見つけられたし荷造りも始められた。部屋が綺麗になったわけではないし、物を減らしたわけでもないが。それでも、空間が広がった部屋を見て、なんとなく心も広くなったような気もした。

今日の頑張りは、昨日まで何もしたくなくて布団の中でひたすらダラダラと過ごしていたのが嘘だったみたいだ。やる気が出なくても、腰が重くても、手をつけてしまえば動き出せる、とどこかに書いてあったことを実感した。あとは好きな音楽を流しながらテンションを上げて取り組んだのも正解だったのかもしれない。

いままで自分がうつ状態であるのを理由に、無理に何かをしなくていい、何もしなくてもたぶん誰にも責められない、それにたぶんまだ時間はある…などと甘えていた面があったかもしれない。いや、あったと思う。

しかし今日頑張れたからといって、本調子ではないので、多少の甘えを悪いことだと思いたくない。それに、そういう時間と過ごしたからこそ今日頑張ってみてよかったなぁと思えるのは、良いことだと思いたい。

準備は完了したわけではないので、明日も頑張りたい。主に身だしなみとか。きっと頑張れる。たぶん頑張れる。

最近のこと

相変わらず現在も休職中である。過ごし方は前に書いた記事より酷くなったと思う。昼に起きて食事をとって、生産性のない時間をダラダラと過ごすことに慣れてしまった。いまではこれが当たり前の生活だったような気がする。

外出はできる。買い物を理由にすれば。GWの辺りまでは買い物依存の状態だったと思う。大して欲しくもない物をたくさん購入した。手に入れてしばらくは使っても、いまは見向きもしない物ばかりだ。要らなかったわけではないと思う。好きで買った物だ。きっと後から見返してもこれは欲しかったと感じるだろう。しかし必要だったかといえばわからない。

目的がないと家から出ない。なので家にいるときの身だしなみは女性としてどうかしていると思う。家のチャイムが鳴っても居留守を使う。家にいるときは人に会える状態ではない。外出するときは全力で整えるので、落差が激しい。

GW後にはチャットへ入り浸って、自分よりもこころの病気を長く患う人の経験談を聞いた。ためになったのはそれくらい。あとは出会い厨の人たちに何歳?どこ住み?連絡先交換しよ?と聞かれるばかり。うるせぇ。他を当たってください。

ごく一部だが振り返ってみると療養しているとは堂々と言えないくらい腐った生活を送っている。自分を見つめることすらできていないので、今度こそ定期的に文字に表して、なんとかしたい。

いつもそればっかり。

将来-1

子どもの頃から絵を描くことが好きだった。小学生の頃はキャラクターグッズを集めるのが大好きでかなり魅了されていた。自分で作ったキャラクターを友達に見せびらかして喜んでもらえたら満足していた。好きなことを仕事にしたいから将来はイラストレーターになりたいと思っていた。

中学生になると様々な漫画に触れる機会が増え、自分でも漫画イラストを描くようになった。漫画は描けないが、好きな漫画の模写やファンアートをするだけで楽しかった。受験シーズンが近付くと地元の普通科高校へ見学に行き、そこで何故かここの美術部はいいところだ!と思い込んだ。そしてとりあえずはここへ行けばいいやと安易に志望校に決めた。より専門的に学べるであろう美術科の高校やその先の大学までの進路は全く頭になかった。しかし受験勉強に身が入らないまま試験を受け、結果は不合格。

滑り止めで受かっていた私学高校へ入学し、そこで美術部に入った。文芸部などにも兼部で所属したが、それらの部活に限らず、意外と美大への進学を考える同級生は多かった。同級生たちがスキルアップに励む姿と自分の温度差を感じた。私は周りのように頑張れるんだろうかと疑問を持った。私はいつも自分が描いて楽しむためだけに活動していた。

やがて付き合い始めた相手に流されて、絵の活動をするよりもその人と楽しく過ごすことを優先してそれしか考えなくなってしまった。

そんな中でも転機があり、全く異なる分野の大学を目指すことになるのだが、前述した通り私は一度受験に失敗している。ここでまた失敗してはいけないと、補講(進学者向けの受験対策講座)に出席することにした。ここでもやる気満々で勉強をする同級生たちとの温度差を感じた。私は勉強はそんなに好きではなかった。やりたくなくてサボってしまうこともあった。

学力面で確実に頑張れるという自信はなく、親にも発破をかけられたので、他の方法での受験にも挑戦しようと思い、まずはAO入試から受けることにした。これが上手くいき、受験シーズンでは早めの時期に大学に合格することができた。その後のセンター試験は記念に受けるような形で行ってきた。結果がどうなってもすでに合格があるから怖くない、と怠惰でやる気のない私の受験は終わった。

 

(続く)

毎日

基本的に家に引きこもってリビングでだらだらと過ごしている。ときにはテレビをつけて流し見たりするが、ワイドショーやニュースを見ると鬱屈としてくるのでCSを見ることが多い。また動画配信サービスを利用して、映画・ドラマ・アニメをひたすら流して画面を眺める。それすら嫌なときもあるけれど。少し元気なときは趣味の諸々をテーブルに広げて作業をしたり、少し将来のことを考えて調べ物をしたり、とにかく、毎日を過ごす。そうして、何かをしたいときはするけれど、なんというのか、毎日を過ごすしか特にやることがない。全くやる気の出てこない日は、前日の夜から布団に入っても、朝起きても昼起きても何もする気が起きず、何度も寝直して午後4時頃になってようやく布団から這い出て、さすがにお腹が減ったなと食事をとる。そんな過ごし方だ。それでも良いと感じるのは、やる気が起きなくても食欲不振ではないし睡眠導入剤を飲めば夜は眠れるということだ。昼間、薬を飲まなくても眠ることができる。しかし時間帯は関係なく、いつどこで寝ても嫌な夢をみる。願望や回避したいことが混ざり混ざって凝縮され夢になるようだ。たまに内容をメモするが、後から読み返すと悪夢だったのかもしれない。私は何もしたくなくなると、現実逃避のために眠るしかない、という選択になる。前は面白おかしい夢をみることが多かったので眠るのを楽しみにしていたこともあったが、いまは嫌な夢ばかり。そんなのはみたくないので、起きているときは何かに没頭したくなる。最近だと突然ハマりだしたキャラクターグッズがあり、それを集めるために思い切って外出して買い物をするとか、家にいても通販やオークションサイトを見たりする。そうすると前から薄らと感じていた買い物依存症っぽさが、日に日にリアルになっていく。たぶん、そういう内容をしっかりと考えて書いていけばいいのだけれど、ツイッターでそのときどきに思い付いた内容を書き込むことがあっても、ブログを開いて長文でアウトプットして書く作業は、いまの私にとってはかなりの労力がいると感じるようになった。今日も少ししんどい。そもそも書いてよかったと感じられると思えるほどのネタがない。なんでもかんでもツイッターに書く癖をやめて、ネタ帳みたいなものを作ればいいんだろうか。とりあえず、引きこもっていても何かブログに書けるように、リハビリをしたいと思っている。明日も何か書きたい。

卵を落とした

料理をしようとキッチンに生卵を置いたら転がって床に落ちた。何も考えずに適当に置いたので転がった卵のストッパーになる物が何もなかった。

どこで聞いたんだったか、卵が落ちる音というのは聞いたことがある。ドッというようなグチャッというような音だ。

人生で初めて卵を落とした。卵の落ちる音も初めて生で聞いた。実際はなんともいえない音だった。たしかに、ドッとかグチャッとかいう音に似ていたけれど、もっと鈍くて重たくて脆い印象を持った。

卵は一瞬で割れた。黄身も割れたようでゆっくりと黄色が広がった。それを見ながら、落としてしまったなぁ、片付けなきゃいけないなぁ、無駄にしてしまったなぁ…などと思った。けれど、失敗してしまったときに感じる、内臓が冷えるような、腹からゾッとするような、そういう感覚はあまりなかった。

最近は、失敗したらまずいことになるから気を付けなければ、とあらかじめ予測しなければならない。失敗したときのまずい場面を具体的に頭に思い浮かべるようにしないといけない。と思うようにしている。たとえばペットボトルの飲み物を飲むとき、車の運転をするとき。少し前の私であったら、そこまで気を付けなくても当たり前のようにできていた。

いまはダメだ。念入りに注意しなければ失敗してしまうし、失敗してもゾッとしないので反省が薄い気がする。

でも、卵を落としたときの音は当分忘れないだろう。

自分を大事にする生き方はまだわからない

休職に入って約1ヶ月が経った。

 

以下は過ごし方のメモ。

基本的には昼過ぎまで布団から出ない。朝に目が覚めても布団から出ようと思わない。何もしたくなくてだらだらとしているが、だんだんとお腹が空いてくるので昼2時頃までに渋々と起きて、朝食兼昼食を摂る。夕食を含め1日2食。それからの過ごし方は、調子の良い日と悪い日によって変わる。調子の良い日は好きなことをしようと思う余裕がある。悪い日は寝る食う以外のことが億劫で仕方ない。そうときは寝転びながら映画やドラマ、アニメなどをひたすら見る。いままで時間がなくて見られなかった長編作品を一気に見られるのが少し嬉しい。しかし、気分転換に見ているはずなのに次第に頭痛がしたり、首や肩がずっしりと重くなって、ズキズキと鈍く痛み始める。音にも過敏になりテレビの音は普段より小さくないと落ち着かない。加えてネガティブ思考が始まるときもある。それらが気になり、映画などの話に集中できなくなってくるので、自分の状態をリセットするために眠ってしまいたくなる。でもただでさえ眠れない夜がさらに眠れなくなってしまうと思い我慢をして起き続ける。日中あまり活動をしないせいか夜は眠いと感じなくなり、また寝付けなくなったのだと思う。

ここ1〜2週間は調子の悪い日が多くなった。家族は調子の良い日の私を見て、良くなってきたんじゃないかと言ってくれるが、自分では全くわからない。良い日と悪い日で差がありすぎる。休職した1ヶ月間が無駄だったのではないかとも思えてくる。うつ状態を治していくのには焦るべきではないと聞くが、この調子では何のために休んでいるのかもわからなくなってくる。

ここ最近ひどく調子が悪かった理由は明確だ。先日、医師の指示で休職を延ばした方が良いと診断書が追加された。しかし、休職を延ばしてもらうために勇気を持って会社の上司に電話をしたところ、すぐには理解してもらえなかった。仕方ないとは思う。会社として復帰できるか確かでない1人の社員のために、いつまでも休みを取らせるわけにはいかないのだろう。仕方ない。けれど落胆した。自分に鞭を打って無理して状態が悪化したら。何が正解なのかわからなくなった。翌日病院に行き母に同席してもらいながら医師に相談したら、母から上司へ電話したらどうかとのアドバイスを受けた。正直ホッとした。アドバイス通り、母から電話してもらってなんとか休職期間を延ばすことができた。電話によって生じるつらさは回避できたが、会社について、自分の今後について考えるとひどく落ち込む。はじめに自分で電話したときに上司から言われた言葉が頭の中に残っている。仕方ないと思う気持ちと、失望、絶望、ネガティブな気持ちが混沌としている。

 

うつでよく聞く、社会に取り残されているとか、そういう考え方は、幸い?にも無いのだが、迷惑をかけているのに頑張れない自分は駄目な人間だ、もしかしたら本当は頑張れるのに甘えさせてもらっているのではないか、もっと努力すればなんとかなったのではないかなどといった考えが浮かんでくる。医師や臨床心理士の先生たちと話していると、もっと自分を大事にしていいのだと言ってくれる。きっとそうなのだと頭では思う。そうできたらいいなと思う。それに自分以外の苦しんでいる人をネットで見かけたりすると、自分を大事にしてほしいと感じるし、無力ながら助けたいと思う。けれど、まだ自分に対してはよくわからない。自分で言うのもなんだが、自分より他者を大事にしようとしてしまうところがあるのは自覚していた。今の私はその点において非常にバランスが悪い状態なんだと思う。早く、自分を大事にするということを、わかるようになりたい。

いちばんうるさいのは自分

休職を指示されてから3週間が経ってしまった。

少し前の記事で書いたが、何日も寝付きが悪く睡眠の質も良くなかったので、先日の通院時に先生に話した。

すると睡眠導入のための薬が出た。

私は薬を常用していない。

去年通院を始めた日には2種類の薬を貰っている。普段の生活の中で不安になったとき、精神的な理由で吐き気が起こったときに飲むための薬だ。それらはそういう状態になってしまったときにしか飲まないし、そもそも必要になるときはそう多くはなかった。

今年に入って休職して、しばらくは身体も頭も休めているはずなのに、なぜか薬が更に必要になっていく。

睡眠薬を飲み始めてから夜は眠れるようになった。いいことだ。ちなみに前に書いた朝から午前中にかけて落ち着いて眠れることは、病院の先生には家族が外出して気が抜けるからだろうと言われた。それに関係なく夜も眠れるようになってよかった。

なのに、そんな自分のいまをあまり受け入れられない。あまり薬に頼りたくないのもあるけれど、いちばんは自分の状態、状況に追いつけられないのだ。

ここ1週間ほどで怒りの感情が強くなった。会社のことは勿論、去年別れた人のこと、その前に別れた人のこと(この人たちは一方的に別れ話をしてきたので納得できなかった)、あとはあまり理解のない家族のこと、何よりも上手くできない自分のこと。考えたくなくても自然と浮かんでくる。その度に苛ついて、頭の中のモーターが回り始める。そのせいなのか、頭痛や後頭部に違和感が出るようになった。頭に血がのぼるというのはこれなんだろうか。

早くどうにかしたくてネットで様々なワードを入れて検索してしまう。

怒りを捨てるためには許すこと、という言葉がよく出てくる。私はこれを上手く理解できない。許せるなら許したい。でも許せない。なんで、どうして、とばかり思う。過去に囚われやすいのは昔から自覚していた。過去を思い出して、考えるほどに怒りも悲しみも混ざり混ざって、最近は憎しみのように感じる。より酷くなった。憎くて相手に罪悪感を持ってほしいと思うときもある。それが叶ったとしても自分のこころが治るわけではないのはわかっているので虚しい。

感情を書き殴るノートもよい、とも見かける。しかし私はペンで文字にして書き表すのがなんとなく嫌だ。ノートを汚すのが嫌だからかもしれない。最近は自分の中に潔癖っぽさも感じている。あとは頭の中にあるものを具現化するとその感情を認めざるを得ないから?そのわりにはSNSなどには書き込んでしまう。特にツイッターは長い間使っている分書きやすさもあるし、携帯さえあれば何処でも書けてしまうからだろうか。けれどそこでは友人が見ているし、自分で吐き出すまでに留めるのならノートに移行した方がいいのかもしれない。このブログは知り合いの誰も見ていないからある程度は書ける。身バレは避けたいのである程度しか書いていないが。

あとは認知行動療法をした方がいいと思っている。就活に苦戦して気分の下がっていた時期に自分でやる認知行動療法の本を買っていて、いまも部屋にあるが、買ったときからとにかく手につかない。ページを開いて読み始めても、途中で嫌になる。これも自分のこころと向き合って認めるのが苦痛だから?

ここに何を書きたかったのかわからなくなってきているが……気持ちをノートに書くのも嫌で、認知行動療法もできないのに、怒りを抑えられなくて、イライラして、それを無視するためにひたすらドラマを観たり寝たりしてやり過ごすのは、もうそろそろ辞めたいなと思っている。やりたいことをやる意欲は戻ってきて、趣味も少しずつやれているので、多少はよくなってきているのかもしれない。この調子でノートでも認知行動療法でもできたらいいのに。

明日は月曜、また1週間が始まる。会社のことを思い出して嫌だなと思うより、これからどうしようと考えて嫌になる。病院の先生はまだ考えなくていいと言ってくれるけれど、今年が始まってもう2月に入ってしまった。自分のこころにも追いつけられないし時間の流れにも追いつけられない。全部私が追いつくまで止まってくれたらもっとよくなるかもしれないのになと思ってしまう。

あれが嫌だこれも嫌だ、許せない悲しい苦しい、謝ってほしい、私はああしたいこうしたいと、いちばんうるさいのは自分だということが書きたかったので、タイトルは後付け。

 

昔の方がよっぽど文章を書くのが上手かったと自負できるので、その能力に早く戻ってきてほしい。