ちいさな、世界

私の頭の中の宇宙

この数か月間にあったこと

6月のとある昼前に近所に住む祖母が突然子猫を拾ってきた。お饅頭のような頭と体にか細い脚が生えた、でもやっぱりお饅頭のような、とても小さな子猫だった。目ヤニで片目は閉じてしまっていた。祖母が言うには、たまたま通りかかった道端で大声で鳴いているのを見つけて、一緒にいた近所のおじいさんが「このままだと死ぬかもしれんなぁ~」と言うから、可哀想になって連れ帰ってきたらしい。

私は久しぶりに見る赤ちゃん猫を受け取って、かわいい!と一瞬感じてすぐ、今この子の為に必要なものは何か?と考えた。

 

数年前まで家で猫を飼っていた。私がまだ中学生の頃、このときも祖母が知り合いに頼まれて…と連れて帰ってきた子猫だった。祖父と祖母が中心になって飼っていた。近所に野良猫がたくさんいる中での外飼いだった。野良からいろんな病気をもらったりしながら、最期は腎臓を悪くして8歳で亡くしてしまった。

私は当時学生で、まだまだ子どもだったので自分のことばっかりで、猫の世話といえるような世話はほとんどしていなかった。でもマッサージはよくしていた。初めて飼う猫で、とても可愛がって大好きな猫だった。亡くなる間際のことは今でもよく覚えている。

 

その子以外にも、時期のかぶっているときに子猫を拾ったり、U字溝で溺れる子猫を助けた経験があるが、全て里親に出していた。

猫と接する機会が無くなって数年が経っていた。

6月に突然やってきた子猫は、休職して引きこもりがちだった私の日々を一変していった。

 

まだ生まれてから間もないような子猫である。どうしたら良いのか、慌ててネットで調べた。

空のダンボール箱を用意し、使っていないタオルをたくさん敷き詰めた。使い捨てカイロやお湯を入れたペットボトルを湯たんぽ代わりに入れて、子猫が温かく過ごせるようにした。5年ほど前に友人から誕生日プレゼントで貰った猫のぬいぐるみも入れた。このぬいぐるみは先代の猫に少し似ている。子猫は、手のひらに乗る程のぬいぐるみと同じくらいの大きさだった。

 

次にホームセンターへ行き、猫の離乳食を購入した。ミルクではなく離乳食を選んだのは歯が生えてきていたからだ。「にゃー」とか「みゃー」とかいうよりも「びゃー」の方がしっくりくるくらいの声で、延々と鳴き続けていたので、とにかくお腹を満たしてあげようと思った。私の趣味のアクアリウム用に買ってあった、細くて浅めのスプーンを使って子猫の口元へ離乳食を持っていくと、小さな口を大きく開けて齧り付いてきた。安心した。

 

先代猫からお世話になっていた動物病院は、午後は4時からの診察だった。子猫を連れていくと生後3~4週間くらいとのことだった。目ヤニは結膜炎によるもので、軟膏の目薬と、体重に合わせて割ったシロップ状の薬を飲ませることで良くなると言われて安心した。離乳食を食べたことを伝えると、この子にはまだ少し早いと言われた。病院の帰りにペットショップへ寄り、猫用のミルクを買った。

帰って早速ミルクを作ろうとするも、パッケージの缶に書いてある分量を上手く理解できなかった。今思えば休職し始めて5か月が経ち、食うか寝るかの生活で、頭を使うことなど全くしていなかった頃だ。初めて作るミルクが猫のミルクとは…と思いながらなんとか作って、ちょうどいい小皿が無かったので母が見つけたインスタントコーヒーの瓶の蓋を器にして、ミルクを入れて子猫に与えてみた。飲まない。器を口元へやっても飲まない。

次に試したのは弁当用の醤油さしくらいの小さなボトル。スポイトのように使って飲ませようとしてみても上手くいかない。ネットでまた調べて、きちんとした哺乳瓶を使った方が良さそうだと判断し、再びペットショップへ走った。

帰宅してミルクを作り直した。哺乳瓶の使い方もまたわからない状態だったが、調べながらなんとか作った。子猫に与えると、はじめは上手くいかなかったが少し吸ってくれた。作った分量に対してあまり減らなかったが、飲んでくれたことに安心した。

 

それから毎日、子猫にミルクを与え、トイレを促し(濡れたティッシュなどでお尻をトントンと刺激する、親猫がする世話を人の手で行う)、目薬をつけたりシロップを飲ませる、カイロや湯たんぽの取替などをする生活が始まった。最初は上手に吸えなかった哺乳瓶もやがて慣れてぐびぐびと飲み、目に見えて減っていくようになった。完食するようになったときはとても嬉しかった。

ニップルを噛んで穴が開いてしまい交換の為にペットショップへ行き、ミルクを1缶使い切り買い足しの為にペットショップへ、通院でそろそろ離乳食を混ぜてと言われてペットショップ。私は猫のために外出し、猫のために家にいた。

 

赤ちゃん猫は成長が早く、1週間もすると跳んだり、遊ぶこともできるようになり、行動範囲が広がった。

以前の記事にも書いたが、私の部屋はいわゆる汚部屋であった。ゴミ屋敷系ではなく、物が多いタイプ。実はそれは私の部屋だけでなく、実家が丸ごとその状態である。よちよち歩きでダンボール箱の中だけでなんとかなっていた子猫も、箱の外へ出せば走り回るようになり、箱へ入れても爪を立てて登れてしまうようになった。猫用のスペースを作らなければならない、つまり部屋を片付けなくてはならないという現実が迫ってきた。

 

そもそも、単にミルクを与えるといっても、私にとってはつらいところがあった。真夜中に睡眠薬を飲んで寝付き、昼過ぎに起きてようやく活動を始めるといった生活をしていたので、朝が起きられない。早寝しようと心掛けても、アラームを複数回分セットしておいても、頭がガンガンと痛んで身体を起こすことが出来ない日もあった。この頃、睡眠薬1つでは眠れなかったので、医師からの指示で不安になったときに飲むよう貰っていた薬も合わせて使用することになった。

私以外の家族は働いているので、朝、家の中はバタバタとする。そんな中で子猫のミルクを頼むのは難しいと考えていたし、実際頼めなかった。ミルクを与える時間帯は前以て朝は6~7時と決めていたが、私はだんだんと起きられなくなって、9時にずれてしまうときもあった。

 

頭が痛んで起きられないこともつらかったが、お腹を空かせた子猫が待っているとわかっていても起きられない、加えて猫のためのスペースを作らなければならない、というのは、完璧主義気味な私にとってダメな自分を思い知らされるような気がしていた。

子猫のために行動しようとすると、ダメな自分を見つめなくてはいけなかった。

 

子猫の成長と自分の体調をみながら、何段階か分けながら部屋を片付けていった。

ダンボール箱では狭くなったので安い折りたたみ式の布製ケージを購入。その出入口から自由に走り回れるように、ダンボールである程度の高さの壁を作りスペースを確保。

やがて子猫のジャンプ力が上がり、ダンボールの高さが足りなくなって不恰好に継ぎ足し。

トイレを覚えてもらうためにトイレシーツから猫用トイレを覚えさせる。爪とぎとキャットタワーを兼ねた小さなタワーを購入しそれもまた覚えさせる。

ミルクよりも離乳食の分量を増やし、哺乳瓶からスプーンで食べさせ、スプーンからお皿で食べられるように覚えさせる。

病院へ行くときに入れるキャリーバッグに慣れさせる。

赤ちゃん猫でも遊ばせられそうな、またたび無しのおもちゃを購入し運動させる。

 

それまでは実家の中でもいちばん片付けやすくて、スペースの確保がしやすい部屋を使っていた。ただ、7月が近付くにつれて日中の室温が高くなっていた。その部屋にはエアコンなどの空調機器が無い。猫も熱中症になる。しかも家にいるのは病気にかかりやすい赤ちゃん猫である。

エアコンのある部屋に移すには、汚部屋の自室しか候補がなかった。

 

この辺りは恥ずかしい話なのでもっと簡略化させる。

安いがきちんとした猫用ケージを購入し、布製ケージは日中の暑い時間帯の一時避難のために利用した。布製ケージはエアコンのあるリビングに置いて(ただし猫用のスペースは作れないので一時的にしかケージを置けない)、子猫にはその中で過ごしてもらっていた。その間に私は自室を片付ける。物が多いので、とにかく部屋から出すことに集中した。幸い収納部屋があったのでせっせとそこへ運んだ。物が多すぎること、そして引きこもり生活で体力がなくなっていたことで、いっぺんに片づけることは出来ず、毎日少しずつ進めていた。

このときの対応は、ダンボールで囲ったスペースよりは広くなったとはいえ、より行動範囲が広くなってきた子猫にとっては窮屈でストレスだったと思う。

 

一方、同時進行で私の職場復帰の話が進んでいた。具体的に復帰する日が決まって私は非常に焦っていた。私が仕事に戻るということは、日中の家には子猫しかいなくなるということである。どんどん成長していく子猫をずっとケージの中にしまっておくのは狭すぎる。となると、自室にある程度のスペースを作るだけではなくて、子猫が走り回っても問題ないくらいの空間を作らなければならない。

食う寝るだけの生活を何か月も続けてきた私にとって、刻々と近付いてくるタイムリミットは地獄だった。

それでもやるしかなかったので毎日限界まで片付けをした。無理だと思うときは休んだ。そうして、なんとか妥協できるところまで部屋の片付けを完了させ、仕事にも復帰し現在に至る。

 

 

* * *

 

 

書き出してみて、この数か月間の私は子猫を軸に生きてきたと実感した。仕事復帰はおまけである。

今も子猫のために朝起きるし、子猫のために生活リズムも整ってきたところである。恥ずかしい話、酷いときは風呂や歯磨きといった最低限のことができなくても気にならなかったが、今はやれている。

 

仕事に復帰してからも、離乳食からキャットフードへの切り替えや、お腹に回虫がいると判明して体重に合わせて割ってもらった錠剤を飲ませたり、キャットタワーを購入して組み立てるのが大変であったり……いろいろあった。

子猫は今月末で約4か月になる。家に来たときはお饅頭のようだった赤ちゃん猫が、今では噛み癖のあるやんちゃな猫になってきている。噛み癖も含めて悩みは幾つかあるが、一先ずここまで成長してくれて本当に良かった。ほんとによかった

 

まだ決定ではないが子猫を連れて一人暮らしをする予定があるので、これからもやらなければならないこと(主に部屋から移動させただけの荷物の片付け)はあるけれど、なんとかやれるだろうと思えるのは、子猫が来たという荒療治のおかげかもしれない。

今日は頑張ったということ

週末に家族旅行の予定が入っているのだが私はなんの準備もしていなかった。本当に全く出来ていなかった。

なぜなら部屋の中に物があまりにも多すぎるからだ。物の山から旅行かばんを掘り起こさなければならないし、足の踏み場はあっても床にもっとスペースを作らなければ荷造りができないような状態だった。

日にちが迫ってきて、さすがにそろそろまずいなと、とにかく出しっ放しの物をあるべきところへ少しでもしまおうと決心して、今日は3〜4時間ほど頑張った。結果として、かばんも見つけられたし荷造りも始められた。部屋が綺麗になったわけではないし、物を減らしたわけでもないが。それでも、空間が広がった部屋を見て、なんとなく心も広くなったような気もした。

今日の頑張りは、昨日まで何もしたくなくて布団の中でひたすらダラダラと過ごしていたのが嘘だったみたいだ。やる気が出なくても、腰が重くても、手をつけてしまえば動き出せる、とどこかに書いてあったことを実感した。あとは好きな音楽を流しながらテンションを上げて取り組んだのも正解だったのかもしれない。

いままで自分がうつ状態であるのを理由に、無理に何かをしなくていい、何もしなくてもたぶん誰にも責められない、それにたぶんまだ時間はある…などと甘えていた面があったかもしれない。いや、あったと思う。

しかし今日頑張れたからといって、本調子ではないので、多少の甘えを悪いことだと思いたくない。それに、そういう時間と過ごしたからこそ今日頑張ってみてよかったなぁと思えるのは、良いことだと思いたい。

準備は完了したわけではないので、明日も頑張りたい。主に身だしなみとか。きっと頑張れる。たぶん頑張れる。

最近のこと

相変わらず現在も休職中である。過ごし方は前に書いた記事より酷くなったと思う。昼に起きて食事をとって、生産性のない時間をダラダラと過ごすことに慣れてしまった。いまではこれが当たり前の生活だったような気がする。

外出はできる。買い物を理由にすれば。GWの辺りまでは買い物依存の状態だったと思う。大して欲しくもない物をたくさん購入した。手に入れてしばらくは使っても、いまは見向きもしない物ばかりだ。要らなかったわけではないと思う。好きで買った物だ。きっと後から見返してもこれは欲しかったと感じるだろう。しかし必要だったかといえばわからない。

目的がないと家から出ない。なので家にいるときの身だしなみは女性としてどうかしていると思う。家のチャイムが鳴っても居留守を使う。家にいるときは人に会える状態ではない。外出するときは全力で整えるので、落差が激しい。

GW後にはチャットへ入り浸って、自分よりもこころの病気を長く患う人の経験談を聞いた。ためになったのはそれくらい。あとは出会い厨の人たちに何歳?どこ住み?連絡先交換しよ?と聞かれるばかり。うるせぇ。他を当たってください。

ごく一部だが振り返ってみると療養しているとは堂々と言えないくらい腐った生活を送っている。自分を見つめることすらできていないので、今度こそ定期的に文字に表して、なんとかしたい。

いつもそればっかり。

将来-1

子どもの頃から絵を描くことが好きだった。小学生の頃はキャラクターグッズを集めるのが大好きでかなり魅了されていた。自分で作ったキャラクターを友達に見せびらかして喜んでもらえたら満足していた。好きなことを仕事にしたいから将来はイラストレーターになりたいと思っていた。

中学生になると様々な漫画に触れる機会が増え、自分でも漫画イラストを描くようになった。漫画は描けないが、好きな漫画の模写やファンアートをするだけで楽しかった。受験シーズンが近付くと地元の普通科高校へ見学に行き、そこで何故かここの美術部はいいところだ!と思い込んだ。そしてとりあえずはここへ行けばいいやと安易に志望校に決めた。より専門的に学べるであろう美術科の高校やその先の大学までの進路は全く頭になかった。しかし受験勉強に身が入らないまま試験を受け、結果は不合格。

滑り止めで受かっていた私学高校へ入学し、そこで美術部に入った。文芸部などにも兼部で所属したが、それらの部活に限らず、意外と美大への進学を考える同級生は多かった。同級生たちがスキルアップに励む姿と自分の温度差を感じた。私は周りのように頑張れるんだろうかと疑問を持った。私はいつも自分が描いて楽しむためだけに活動していた。

やがて付き合い始めた相手に流されて、絵の活動をするよりもその人と楽しく過ごすことを優先してそれしか考えなくなってしまった。

そんな中でも転機があり、全く異なる分野の大学を目指すことになるのだが、前述した通り私は一度受験に失敗している。ここでまた失敗してはいけないと、補講(進学者向けの受験対策講座)に出席することにした。ここでもやる気満々で勉強をする同級生たちとの温度差を感じた。私は勉強はそんなに好きではなかった。やりたくなくてサボってしまうこともあった。

学力面で確実に頑張れるという自信はなく、親にも発破をかけられたので、他の方法での受験にも挑戦しようと思い、まずはAO入試から受けることにした。これが上手くいき、受験シーズンでは早めの時期に大学に合格することができた。その後のセンター試験は記念に受けるような形で行ってきた。結果がどうなってもすでに合格があるから怖くない、と怠惰でやる気のない私の受験は終わった。

 

(続く)

毎日

基本的に家に引きこもってリビングでだらだらと過ごしている。ときにはテレビをつけて流し見たりするが、ワイドショーやニュースを見ると鬱屈としてくるのでCSを見ることが多い。また動画配信サービスを利用して、映画・ドラマ・アニメをひたすら流して画面を眺める。それすら嫌なときもあるけれど。少し元気なときは趣味の諸々をテーブルに広げて作業をしたり、少し将来のことを考えて調べ物をしたり、とにかく、毎日を過ごす。そうして、何かをしたいときはするけれど、なんというのか、毎日を過ごすしか特にやることがない。全くやる気の出てこない日は、前日の夜から布団に入っても、朝起きても昼起きても何もする気が起きず、何度も寝直して午後4時頃になってようやく布団から這い出て、さすがにお腹が減ったなと食事をとる。そんな過ごし方だ。それでも良いと感じるのは、やる気が起きなくても食欲不振ではないし睡眠導入剤を飲めば夜は眠れるということだ。昼間、薬を飲まなくても眠ることができる。しかし時間帯は関係なく、いつどこで寝ても嫌な夢をみる。願望や回避したいことが混ざり混ざって凝縮され夢になるようだ。たまに内容をメモするが、後から読み返すと悪夢だったのかもしれない。私は何もしたくなくなると、現実逃避のために眠るしかない、という選択になる。前は面白おかしい夢をみることが多かったので眠るのを楽しみにしていたこともあったが、いまは嫌な夢ばかり。そんなのはみたくないので、起きているときは何かに没頭したくなる。最近だと突然ハマりだしたキャラクターグッズがあり、それを集めるために思い切って外出して買い物をするとか、家にいても通販やオークションサイトを見たりする。そうすると前から薄らと感じていた買い物依存症っぽさが、日に日にリアルになっていく。たぶん、そういう内容をしっかりと考えて書いていけばいいのだけれど、ツイッターでそのときどきに思い付いた内容を書き込むことがあっても、ブログを開いて長文でアウトプットして書く作業は、いまの私にとってはかなりの労力がいると感じるようになった。今日も少ししんどい。そもそも書いてよかったと感じられると思えるほどのネタがない。なんでもかんでもツイッターに書く癖をやめて、ネタ帳みたいなものを作ればいいんだろうか。とりあえず、引きこもっていても何かブログに書けるように、リハビリをしたいと思っている。明日も何か書きたい。

卵を落とした

料理をしようとキッチンに生卵を置いたら転がって床に落ちた。何も考えずに適当に置いたので転がった卵のストッパーになる物が何もなかった。

どこで聞いたんだったか、卵が落ちる音というのは聞いたことがある。ドッというようなグチャッというような音だ。

人生で初めて卵を落とした。卵の落ちる音も初めて生で聞いた。実際はなんともいえない音だった。たしかに、ドッとかグチャッとかいう音に似ていたけれど、もっと鈍くて重たくて脆い印象を持った。

卵は一瞬で割れた。黄身も割れたようでゆっくりと黄色が広がった。それを見ながら、落としてしまったなぁ、片付けなきゃいけないなぁ、無駄にしてしまったなぁ…などと思った。けれど、失敗してしまったときに感じる、内臓が冷えるような、腹からゾッとするような、そういう感覚はあまりなかった。

最近は、失敗したらまずいことになるから気を付けなければ、とあらかじめ予測しなければならない。失敗したときのまずい場面を具体的に頭に思い浮かべるようにしないといけない。と思うようにしている。たとえばペットボトルの飲み物を飲むとき、車の運転をするとき。少し前の私であったら、そこまで気を付けなくても当たり前のようにできていた。

いまはダメだ。念入りに注意しなければ失敗してしまうし、失敗してもゾッとしないので反省が薄い気がする。

でも、卵を落としたときの音は当分忘れないだろう。

自分を大事にする生き方はまだわからない

休職に入って約1ヶ月が経った。

 

以下は過ごし方のメモ。

基本的には昼過ぎまで布団から出ない。朝に目が覚めても布団から出ようと思わない。何もしたくなくてだらだらとしているが、だんだんとお腹が空いてくるので昼2時頃までに渋々と起きて、朝食兼昼食を摂る。夕食を含め1日2食。それからの過ごし方は、調子の良い日と悪い日によって変わる。調子の良い日は好きなことをしようと思う余裕がある。悪い日は寝る食う以外のことが億劫で仕方ない。そうときは寝転びながら映画やドラマ、アニメなどをひたすら見る。いままで時間がなくて見られなかった長編作品を一気に見られるのが少し嬉しい。しかし、気分転換に見ているはずなのに次第に頭痛がしたり、首や肩がずっしりと重くなって、ズキズキと鈍く痛み始める。音にも過敏になりテレビの音は普段より小さくないと落ち着かない。加えてネガティブ思考が始まるときもある。それらが気になり、映画などの話に集中できなくなってくるので、自分の状態をリセットするために眠ってしまいたくなる。でもただでさえ眠れない夜がさらに眠れなくなってしまうと思い我慢をして起き続ける。日中あまり活動をしないせいか夜は眠いと感じなくなり、また寝付けなくなったのだと思う。

ここ1〜2週間は調子の悪い日が多くなった。家族は調子の良い日の私を見て、良くなってきたんじゃないかと言ってくれるが、自分では全くわからない。良い日と悪い日で差がありすぎる。休職した1ヶ月間が無駄だったのではないかとも思えてくる。うつ状態を治していくのには焦るべきではないと聞くが、この調子では何のために休んでいるのかもわからなくなってくる。

ここ最近ひどく調子が悪かった理由は明確だ。先日、医師の指示で休職を延ばした方が良いと診断書が追加された。しかし、休職を延ばしてもらうために勇気を持って会社の上司に電話をしたところ、すぐには理解してもらえなかった。仕方ないとは思う。会社として復帰できるか確かでない1人の社員のために、いつまでも休みを取らせるわけにはいかないのだろう。仕方ない。けれど落胆した。自分に鞭を打って無理して状態が悪化したら。何が正解なのかわからなくなった。翌日病院に行き母に同席してもらいながら医師に相談したら、母から上司へ電話したらどうかとのアドバイスを受けた。正直ホッとした。アドバイス通り、母から電話してもらってなんとか休職期間を延ばすことができた。電話によって生じるつらさは回避できたが、会社について、自分の今後について考えるとひどく落ち込む。はじめに自分で電話したときに上司から言われた言葉が頭の中に残っている。仕方ないと思う気持ちと、失望、絶望、ネガティブな気持ちが混沌としている。

 

うつでよく聞く、社会に取り残されているとか、そういう考え方は、幸い?にも無いのだが、迷惑をかけているのに頑張れない自分は駄目な人間だ、もしかしたら本当は頑張れるのに甘えさせてもらっているのではないか、もっと努力すればなんとかなったのではないかなどといった考えが浮かんでくる。医師や臨床心理士の先生たちと話していると、もっと自分を大事にしていいのだと言ってくれる。きっとそうなのだと頭では思う。そうできたらいいなと思う。それに自分以外の苦しんでいる人をネットで見かけたりすると、自分を大事にしてほしいと感じるし、無力ながら助けたいと思う。けれど、まだ自分に対してはよくわからない。自分で言うのもなんだが、自分より他者を大事にしようとしてしまうところがあるのは自覚していた。今の私はその点において非常にバランスが悪い状態なんだと思う。早く、自分を大事にするということを、わかるようになりたい。